この本は、名古屋市にある「ゆたか福祉会」と障害者、その家族とが歩んできた50年から、時間が経過することで見えてきた課題に、どう取り組んできたかを実態調査した結果が書かれている。今後、高齢親と障害者の子による8050問題が全国的な社会課題となるだろう。その先行事例としての書籍であり、現時点、現制度で出来うることが何なのかを知る上で読んで良かったと思う。
当事業所が障害者家族の求める支援を提供できるのか。親の視点で子(利用者)の事を見てくれることを期待するが、実態としてそれを提供するとなると、ボランティアワークの部分が多くあるのが現状。
この本でも、そして最近参加した習志野圏域勉強会でも話に出た「通院同行」。障害者家族が元気なうちはよいが、高齢に伴いその支援を事業所等に移行する必要がある。職員としては受けたくても、事業所として全ての利用者の通院同行支援を受けると、拘束時間が読めない病院への付き添いは業務をひっ迫させる。この辺りはボランティアではなく、制度面で加算を付けていただかないと回らなくなる時が来ると思う。当ホーム運営でもそうだが、事業所が善意で動くのも当事者支援では大切なことだが、それにより制度化が遠のく可能性も有る事を心に止めなければならない。一致団結し、移動支援による通院同行や余暇支援の制度化の必要性をもっと訴えるべきだ。
松戸市の移動支援では、「病院の入口まではOKだが中には入れない」というルールがあるそうだ。支援員が診察対応まで行うと拘束時間が長い、本人の症状の事前把握、診察内容の報告など、業務が増えてしまう等があるからなのか。せっかくリモート診療等が出てきている中、支援員にスマホ等の情報端末を持たせて、事業所管理者と病院とをリアルタイムにつないで、情報共有する方法だって技術的に何のハードルもなく出来るはずである。何とかならないのかね。
「きょうだい」が親の後を継ぎ、支援者となる話も触れられていた。親のように口出しはせず、あまり生活に入らないことで距離を保っている家庭もあるそうだ。きょうだい児の生育環境(幼児期、学童期、学生以降)から受ける影響は計り知れない。きょうだい児には負担にならないように、と思って支援していても、やはり生まれた時から障害児と共に成長していく中で、意識せざるを得ないだろう。親はPTA活動や地域活動等で事業所と共に、権利を獲得するための運動で同志らと支え合いながら障害に関わるが、まだ未成年である幼ききょうだいは、外部の仲間とつながりにくい。今でこそX(旧Twitter)やインスタ等のSNSがあるから、匿名でつながっている方もいろうだろうが、それもここ数年の話だ。
障害者家族の支援が必要というワードは出てきているが、「きょうだい」にフォーカスされることは多くない。8050問題にも深く関わる事になるきょうだいの支援も当たり前で必要だ。きょうだいあるあるを共有しあえるような関係性の方がいるだけでも救われるという投稿を見たことがある。親は子の障がいを受け入れる分、きょうだいの気持ちから遠くなっていかないように、しっかり見守っていかなければならない。うちの子らも、マイナスよりもプラスを多く感じれる子になってほしい、と願うのはやはり親だからなのだろう。